いまだ1人も遺骨が見つからない“アイヌ兵”を「故郷に返したい」…20歳の大学生が遺族探しの旅で感じた失意と覚悟 #戦争の記憶
「アイヌ兵士が眠っているかもしれない」真っ暗な洞窟で捜索
ことし3月、宮田さんは沖縄戦最大の激戦地となった糸満市国吉を訪れた。遺骨収集に参加するためだ。
遺骨収集には、新聞社に勤めていた浜田哲二さん(62)と、妻の律子さん(60)が帯同してくれた。2人は多原さんの記事を書いたジャーナリストで、25年以上、遺骨収集のボランティアに携わっている。
3人は、戦時中に自然の防空壕として使われた「ガマ」と呼ばれる小さな洞窟に足を運んだ。この付近でアイヌ兵士5人が戦死したとの情報があった。
「家族が待つ故郷に帰れなかったアイヌの遺骨を見つけたい」。真っ暗で湿った狭い洞窟で、宮田さんはクマデを手に遺骨収集に臨む。その傍らで、浜田さんは黒ずんだ壁面を指さした。
「黒くなっているのは焼かれた跡で、アメリカ軍が投げ込んだ手りゅう弾か砲弾の破片。これが大激戦地の証しさ」
当時、この地域にはうっそうとした緑が広がっていたとされている。アメリカ軍はそれを火炎放射で焼き払い、日本兵が潜んでいると判断した洞窟に手あたり次第砲弾を浴びせ、手りゅう弾を投げ入れた。
宮田さんは足元に落ちていた金属片を手に取り、浜田さんに見せた。「これは何かの弾ですか」。
「旧日本軍の小銃用の銃弾だね。ここに日本軍がいた証拠だよ」。浜田さんが答えた。
ここでは5年前、朝鮮半島出身の兵士のものとみられる飯ごうが見つかっている。
「日本国や和人に翻弄(ほんろう)されてきたのはいっしょ」。宮田さんは、いずれも日本兵として戦わされたアイヌと朝鮮半島出身者の境遇を重ねた。
アイヌ兵の遺族探したい 手がかりは2枚の写真
宮田さんは、北海道で新たな取り組みを始めた。沖縄で収集される遺骨とその遺族を結ぶため、DNA鑑定に応じてくれるアイヌの人を探すことにしたのだ。43人のアイヌ兵士の身元はこれまで一人も特定されていない。
「少しでも情報があると、遺骨の特定に役立つと思うんですよ。ご家族に会って、お話も聞きたいし」(宮田さん)
沖縄から駆けつけてくれたジャーナリストの浜田さんとともに、関係先を回った。