いまだ1人も遺骨が見つからない“アイヌ兵”を「故郷に返したい」…20歳の大学生が遺族探しの旅で感じた失意と覚悟 #戦争の記憶
宮田さんたちは手がかりとなる写真を持っていた。
写っているのは諏訪野富雄さん(年齢不明)。北海道出身者が数多く配属されていた第24師団に所属し、旧満州(現在の中国東北部)から沖縄に転戦した。沖縄県西原町棚原の塹壕(ざんごう)で戦い、突撃して戦死。遺骨は見つかっていない。
浜田さんが生き残った諏訪野さんの上官を取材したときに託されたものだった。
写真は2枚。1枚は出征時のもので、両手を後ろで組んでカメラを見つめ、朗らかさがうかがえる。満州で撮ったとされるもう1枚は頬がこけ、表情も険しく変わっていた。
戦地での過酷な体験が、わずか数年で一人の青年をこれほど変えてしまったのかと思うと、宮田さんは胸が締め付けられた。
「胸に勲章をたくさんつけていますが、眼光が鋭くまるでにらめつけているよう。過酷な環境で戦い続けてきたのでしょう。相当苦労されていたのでしょうね」(宮田さん)
身元を特定するDNA鑑定 同意をしぶる
8月8日、宮田さんは北海道伊達市にいた。
戦没者名簿に記されている諏訪野さんの住所を探すためだった。半日周辺を聞いて回ると、諏訪野さんの遺族の住まいが見つかり、おいと会えた。出征時の写真を見せると「同じものが家にある」と答えた。
おいは70代で諏訪野さんと会ったことは1度もない。宮田さんが説明する当時の状況に耳を傾けたが、遺骨の身元を特定するDNA鑑定を辞退。現地にあったビンなどから作ったガラス玉を遺品の代わりに渡そうとしたが、断られた。
「母から聞いていたのでおじなのは確かです。ただ、今さらそんなことを言われても…。自分のことは伏せてほしい」
やりとりはすべて軒先で終わった。
「アイヌ民族であることを騒がれたくないのかもしれませんね。その気持ちはわかる気がします」
宮田さんは自らを納得させるように、相手の言葉を受け止めた。
アイヌ民族と差別、そして戦争を語り続けたい
宮田さんはアイヌ民族と戦争をテーマとした研究を本格的に始めるつもりだ。今回の沖縄での遺骨収集から遺族探しまでの体験は、自分のルーツを深く見つめ直す旅でもあった。
「戦没者の足跡を残すことで、戦争が家族や地域と深くつながっていることを伝えたい。そうすることで、戦争は嫌だよねという思いを語り継いでいけると思うんです」
一方で、自分の無力さも痛感した。遺族に拒まれ、何も持ち帰ることができなかった現実。それでも諦めるつもりはない。
「これまで避けてきた自分のルーツ。逃げてきたことの反省もあります。だからこそ遺骨収集を続け、その活動を通してアイヌと戦争について語り続けたい。自分の体験をもとに多くの人へ伝えていきたいのです」
戦争を知らない若者が、自らのルーツと向き合いながら決意を新たにする。
※この記事は北海道ニュースUHBとYahoo!ニュースとの共同連携企画です。アイヌ民族をルーツに持つ若者を通じ、戦争と差別を考えました。