“甘いものは人を笑顔にする”ショコラを通じて世の中に感動を提供 「マサール」古谷健さん
【菓子】札幌を中心に高級ショコラ専門店「ショコラティエ マサール」を展開するマサール(札幌市)。経営難などの試練を乗り越えてきた代表取締役の古谷健さんに「ショコラを通じて世の中に感動を提供する」経営について聞きました。 BOSSTALK#98
「お菓子を作って世に問う」 再興を図る父親の情熱に心打たれる
――看板商品のショコラブラウニーはどんな商品ですか。
「ブラウニーを作る工程で、端を切り出して大量に捨てるのがもったいなくて再活用を考えました。1口大にカットし、チョコレートでコーティングをしてみましたが、もう一歩でした。低温で2時間半ぐらい水分を飛ばしてカリカリにして、もう1回コーティングすると、おもしろい商品ができました」
――子どものころは、どういうお子さんでしたか。
「古谷家は曽祖父、おじいさん、伯父の代まで続く古谷製菓というキャラメルメーカーで、甘いもの、キャラメルに囲まれた幼少期を過ごしました」
――お菓子に囲まれ、「いつかは自分も」という思いはありましたか。
「そうした気持ちは当時、ありませんでした。古谷製菓は伯父の代で倒産し、父が新たに始めたのが『ショコラティエ マサール』という高級ショコラの専門ショップ。家のキッチンで父が本を片手に(独学で)トリュフショコラづくりの研究に没頭していました。古谷製菓の思いを引き継いでお菓子を作って世に問うのだと、情熱に満ちて楽しく取り組んだ姿が印象に残っています」
――ご自身はどういう道に進まれましたか。
「私が小学6年のときに、父は自宅の前で小さなお店を始めました。店名は父の名前の勝(まさる)にちなんで『ショコラティエ マサール』。多感な少年時代だったので、ちょっと勘弁してくれ、ちょっとおかしい―と思いましたね。大学進学で上京し、就職活動の時期に後輩から『(広告代理店の)電通は年収がべらぼうに高く、合コンではもてる』と聞き、死にもの狂いで準備し、ご縁があって電通に入って10年間勤めました」
――そこではどういうお仕事を?
「ちょうど民放のBSデジタル放送の黎明期。放送局さんとタッグを組み、広告主さんに企画を提案する仕事を7、8年やらせていただきました」