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鉄板エンターテインメントで人々に笑顔とだんらんを 「風月」二神ひかりさん #BOSSTALK

道内経済 コラム・特集 友だち追加

【外食】「風月」(札幌)は1967年の創業以来、道内にお好み焼き文化を広め、鉄板エンターテインメントを楽しむファンも多い。二神ひかり社長にお好み焼きの魅力と海外への出店計画について聞きました。BOSS TALK #95

昭和42年 大阪出身の二神敏郎さんが札幌市内で「風月」を創業

昭和42年 大阪出身の二神敏郎さんが札幌市内で「風月」を創業

――ご出身は?

「札幌生まれ、札幌育ちです。お好み焼はたまにお店で食べました。母がたまにしかお店に連れて行ってくれなかった。従業員のみなさんが緊張するので、あまり行かないようにしていたのかもしれません。家では1回も食べたことがないぐらいです」
――将来は(家業を)継ぐ思いはありましたか
「小学校の卒業アルバムに将来の夢、風月、六代目って書いていましたね」
――六代目?
「父が一代目、母が二代目、兄姉3人(がそれぞれ継いで)私が末っ子で六代目(のつもりでした)」
――学校を卒業されて、そのまま風月に?
「まだ早いかな。入る前に好きなことをやっておこうと」

3カ月間のつもりで入社 考案メニューを父親にほめられ、仕事の魅力を実感

当時、ひかりさんが考案したメニュー

当時、ひかりさんが考案したメニュー

――その猶予期間はどうされていましたか。

「フリーターを1年間やって、父から『3カ月だけ手伝って』って声をかけられ、入社しました」
――それで今に至るってことですね。最初はどういう仕事をされていましたか。
「事務員として経理補佐ですね。パソコンに入力し、伝票を整理するお仕事は楽しくなかった。仕事中にメニューや、企画を考え、落書きみたいな感じで書いて、遊び半分で父に見せたら、すごく喜び、『おもしろい。やってみなさい』ってほめられて本当にうれしかった。それから、自分が考えたメニューのポスター作って店舗に配達し、お客さまに勧めて楽しかったです」

突然の父親の死で社長に 時代に合わせ、全面的にサービス、業務を見直す

2022年 父・二神敏郎さんが死去 その2か月後、代表取締役社長に就任した

2022年 父・二神敏郎さんが死去 その2か月後、代表取締役社長に就任した

――社長の娘として見られ、どうでしたか。

「全員からそう見られている実感がありました。父から『従業員とその家族、そのお友達、たくさんの目がおまえの背中についている』って、よく言われていたので、恥じない生き方、堂々とした言動を心掛けようと常に意識していました」
――2022年に社長に就任されきっかけは?
「突然、父が亡くなって社長交代です。20代前半から『次はおまえだぞ』と言われていて。亡くなる数カ月前も、従業員の前で『みんな、次はひかりが社長だ』と言い、取引先にも伝えていました」
――そのメッセージで腹が決まった?
「父が生きているうちに社長交代を、とは思っていましたが、父がいるとやはり甘えが出る。本当に甘えを捨てて社長になれるのは、父が亡くなったときだと。それが突然、来て、しっかり自分の足で歩こうと。その切り替えはとても早くできました」
――社長になって新しく始めたこと、変えたことは?
「亡くなって一年ぐらいは極力何も変えないでおこうと、本当に何もしなかった。それから気持ちの変化が起き、北海道の食材を使ったら、絶対に大阪に負けないおいしいお好み焼きができるという気持ちと、お客さまに喜んでいただきたいという創業の思いさえ継承すれば、他は時代に合わせて変えて良いのではという気持ちになって、何十年も当たり前のようにやってきたことを、今の時代に合っているのか、お客さまに満足いただいているのか、従業員は働きやすいのか、見直しをしています」