【終戦から79年】沖縄戦を取材した記者の妻―記事まとめ本を出版 「あゝ沖縄」平和を託した思い 夫がめぐった沖縄県の戦跡を訪れる…記事に登場する兵士の親族と交流も 北海道
幸一さんの訪れた戦跡を巡る 命日に「あゝ沖縄」を出版
記事の連載終了から60年。藤子さんは初めて沖縄県を訪れました。
「(沖縄訪問の目的は?)北霊碑に本を出したという報告ですね。それから夫も歩いた戦跡を歩いてみたい」(藤子さん)
2023年、幸一さんの命日に「あゝ沖縄」を出版。表紙のエゾノコリンゴは画家である藤子さんが描きました。なぜいま、出版に踏み切ったのでしょうか。
「(あゝ沖縄は)もしかしたら戦場のリアルを書いた世界でただ一つのものかもしれない」(藤子さん)
中東やウクライナで続く戦火、揺らぐ平和。
藤子さんはいまこそ「あゝ沖縄」を通して、戦争の悲惨さを伝えるべきだと考えました。
「世界で平和を願う人の共有財産になるものだという思いは、非常に大きくなってきました」(藤子さん)
「沖縄戦終焉の地」糸満市にある平和祈念公園。ここの資料館に「あゝ沖縄」を寄贈しました。
「(戦争)体験者もいなくなっている状態で、今後伝える手段が証言に頼るしかない。戦争は二度と起こしてはいけない」(沖縄県平和祈念資料館 前川 早由利 館長)
平和の礎で本に登場する人を悼む
同じ公園内にある戦没者の氏名が刻まれた「平和の礎」。ここである人の名前を探すのがこの旅の目的の一つでした。
「これ『あゝ沖縄』に出てくる人だからね」(藤子さんの同行者)
「神原光司さん」(藤子さん)
輸送部隊所属で沖縄で戦死した神原光司さん。「あゝ沖縄」には一緒に戦った仲間の証言から死の直前の姿が残されていました。
「おとなしい人であったが、真栄里付近で戦死した。砲弾しきり。そのなかをくぐり。野戦倉庫へ決死の覚悟で走った」(「あゝ沖縄」より)
「皆さんのことを本にしました。安らかにお眠りください」(藤子さん)
北海道の戦没者が眠る北霊碑です。
「遺族、亡くなった人、北海道の大地に眠る人たち、そういう人たちが私を歩かせてくれている感じがします」(藤子さん)