【傍聴記録 前編】「絶対に許しません。死刑にならなかったら家に来い」遺族の怒り 女子大学生嘱託殺人 小野勇被告の初公判
そして、2022年10月3日朝。小野被告はレンタカーで待合せ場所のJR手稲駅に向かい、女子大学生と合流しますが…
▼検察:犯行が警察に発覚しないように、被害者にDMのやりとりなどを消去するように依頼。被害者は従い、小野被告の自宅へ向かった。
札幌市東区の小野被告の自宅アパートで、女子大学生に大量の睡眠薬などを服用させ、殺害実行に使うとしたナイフを見せたと言います。
しかし、女子大学生は薬で深い眠りにつかなかったため、頸動脈を押さえて意識を失わせようとしますが、女子大学生に「苦しい」と言われて失敗。
▼検察:翌4日、ナイフでの殺害を断念し、女子大学生の首を両腕で絞めて窒息死させて殺害した。
翌5日、遺体を解体しようと浴室に運び、血抜きをするために、果物ナイフを左わきの下部分に刺して、切り裂きました。
▼検察:夜に遺体を解体するためにノコギリを購入したが、解体に踏み切れないまま遺体を放置。翌6日、SNSのDMで、遺体の写真を見せてほしいと頼まれ、遺体の一部の写真を送信した。
検察側は完全責任能力があると主張しました。
■弁護側の主張「自殺未遂の経験からハードルが下がって正当化していた」
弁護側によりますと、小野被告は高校卒業後に自衛隊に入隊しますが、1993年に自衛隊をやめ、営業職やタクシードライバーをしていました。2004年に結婚し、子どもが生まれるも、2007年に離婚、2015年は失業後に体調を崩し、生活保護の受給をし始め、2017年に心療内科に通院を始めたと言います。
▼弁護人:2018年、ファンだったアーティストが解散し、ファン仲間に裏切られて人間関係に悩み、自殺未遂をした。さらに2019年に父親が亡くなり、母親が道外の兄の元に引っ越したことで症状が悪化し、2回目の自殺未遂をした。
こうした経験から、小野被告は自殺に対する"閾値"が低下、つまり、ハードルが下がっていて、自殺を正当化する考えになっていた言います。