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店舗設計から地域活性までワンストップでプロデュース 「ストアプロジェクト」間宮なつきさん #BOSSTALK

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【建設】 ストアプロジェクト(札幌)は北海道のスーパーやドラッグストアの快進撃を長年、支え続け、自ら運営する観光スポットのЁBRI(エブリ)は人気を集めている。代表取締役の間宮なつきさんに経営理念の"繁盛"について聞きました。 BOSS TALK #103


――子どものころ、どんなお子さんでしたか。
「3姉妹の3女です。姉2人はかなりパワフルで、例えば、親からクリスマスプレゼントをもらうと、私が開ける前に2人が開けて存分に楽しみ、その後、私に回ってきましたね。私は冷静で、周りをよく見ている面がありました」

形として残るものを求め、大学は建築系に進学 東京の設計事務所で修業 

高校を卒業後 多摩美術大学環境デザイン学科に進学

高校を卒業後 多摩美術大学環境デザイン学科に進学

――当時の夢は?

「オーケストラなどに興味がありました。ただ、音楽は会場で1回弾いたら終わり、バレエも会場で1回踊ったら終わり。でも、10年、20年のスパンで残るものをやりたいと考えました。父が設計の仕事をやっており、当時、建築家の安藤忠雄さんが注目され始めた時期でもあり、芸術性も学びたくて多摩美術大の建築に進みました」
―どういうことを学ばれましたか。
「学科は環境デザイン学科で、建築だけではなく、日本庭園やインテリアなど建築の周りも学べて視野が広がりました」
――卒業後はお父さまの会社に?
「(そのまま家業は継がず)東京の設計事務所3社で十数年、修業を重ね、東京で設計事務所を開業しました。店舗の設計では並べる商品によって棚の構成や動線計画が変わってくる。そういう意味で施設運営もおもしろくなり、父が不動産開発から建築設計、内装設計、施工まで手掛けていたので、一緒に仕事をすることにしました」

病気の父親との二人三脚で腕を磨く 最期の一言に奮起を誓う

当時間宮さんが東京で手掛けた物件

当時間宮さんが東京で手掛けた物件

――東京で独立し、お父さまは北海道で仕事をされていますね。

「東京と札幌を2週間おきに空路で移動し、年間70~80便ほど乗っていました。北海道では再開発のお仕事を、東京ではデザイン性の高い住宅、店舗のお仕事をさせていただきました。父にがんが見つかって、家や、会社の従業員、お客さまのこともあり、『私がやるしかない』と、7年前、住まいも事務所も北海道に移しました」
――北海道に戻ってきて思い出深いことは?
「父は、普通は思いもよらない発想をする人でした。車で走っている際、ロードサイドにある建物、土地を見て、もう少し良くなる方法が必ずあると指摘し、私に企画を考えるよう提案しました。依頼を受けておらず、図面もないのに、と(不思議に)思いました。ところが、あまり取り組んでこなかった企画、プロデュース、ブランディングの提案のトレーニングになり、5件やってみて自信がつきました」
――事業承継にあたって、お父さまから何か伝えられましたか。
「(父との二人三脚の仕事で)教えらことはたくさんありました。『本当に社長は私でいいの?』という気持ちがあり、父が死ぬ間際にそのことを聞いたとき、本当に声を絞り出すように『おまえがやれ』と言ってくれました。その言葉が心に残っています。亡くなると、葬儀は大胆に営み、約1500人も参列しました。地元のみこし会の会長を20年間ほど務めたこともあり、参列者には血気盛んなお祭りの方々も多く、まるでスターの葬儀のようで誇りに思いました」