【ファイターズ 球団創設50年】”ファンサービスファースト”と”前例なきチャレンジ” …そして藤井・元球団社長の遺伝子を受け継ぐ”ボールパーク構想” 夢に向かい続ける挑戦の舞台裏
前例なき"チャレンジと夢"
ファイターズは前例のないチャレンジを続けてきました。そして… 「ここにしかない場所を北海道につくりたい。道民が誇れるような施設にしたい」(ファイターズ 前沢賢 常務取締役)
「世界がまだ見ぬボールパークをここ北海道から世界に向けて発信します」(三谷取締役)
後にこのプロジェクトを推進することになる三谷仁志さん前沢賢さんの2人が提案したのが「ボールパーク構想」です。
「ファンサービスが札幌市ドームではこれ以上できないと社員から言われていた。彼らからは新しいスタジアム作りたいって話も提案もらいましたし」(藤井 元球団社長)
しかし、病気のため藤井さんは2011年、志半ばでファイターズを去ります。
新たなホームグラウンドは、北広島市。
官民連携で進める総工費600億円のボールパークは、開閉式の屋根や北国での天然芝など、前例のないチャレンジのかたまりでした。
「開業を迎えたときにさすがに藤井さんに言われたときは涙がポロっとで出ましたね。『ようやったな』という一言ですね。それくらい藤井さんもやりたかったこと、そういったものがここでかなうんだっていうのを実感した瞬間だった」(三谷取締役)
「(Q:エスコンFを見てどう感じますか?)ようつくったな。もっと若けりゃもういっぺんやりたいなと思います」(藤井 元球団社長)
藤井さんのチャレンジの遺伝子は受け継がれていきます。
「新しいことにチャレンジしていくっていうのを世の中に発信していきたい。そういったことができるのが我々の強みだと思う。ここ(エスコンフィールド)で優勝が決まるようなことがあれば、何か色々やってみたいなと思いますね。今までにないことを」(前沢 常務取締役)
次の10年、ファイターズはファンにどんな景色を見せてくれるのでしょうか。