【ファイターズ 球団創設50年】”ファンサービスファースト”と”前例なきチャレンジ” …そして藤井・元球団社長の遺伝子を受け継ぐ”ボールパーク構想” 夢に向かい続ける挑戦の舞台裏
ファイターズ 球団創設50年 歴史の舞台裏
東京から北海道へ、そして夢のボールパークの建設。
ファイターズは球団創設から50年という節目の年を迎えました。
前例のないチャレンジが続いた、その歴史の舞台裏です。
7月2日、エスコンフィールド北海道で行われたファイターズの球団創設50周年イベント。
チームの顔として活躍してきたかつての選手たちが歴代のユニフォームを身に着け、グラウンドに立ちました。
「(エスコンフィールドに)初めて来たんですけれど、すごい綺麗で興奮しました」(小笠原道大さん)
東京時代、北海道移転、日本一の栄冠、ボールパークの開業。
そして夢の続きは…。
エスコンフィールド北海道の外野席。
壁に描かれているのは初代・球団オーナーの大社義規さんです。
「ファイトがあれば何でもできる。この大社元オーナーの精神が日本ハムファイターズには脈々と受け継がれています」(八木隆太郎フィールドキャスター)
1974年、「日拓ホームフライヤーズ」を買収。
ファンからチーム名を募集し「日本ハムファイターズ」と名付けられました。
1981年には大沢啓二監督のもと、ファイターズ誕生以来初のリーグ優勝を果たすなど快進撃を続け、88年には年間の入場者がチーム史上最多となる245万人を記録しました。
球団が下した大きな決断
しかし、優勝から遠ざかることは客足を遠ざけることにも…。
2002年には入場者が126万人と、最盛期の半分に減りました。
球団は大きな決断を下します。
「北海道にフランチャイズを移して、地域の発展、野球界に必ずプラスになると確信している」(日本ハムファイターズ 小嶋武士社長(当時))
2004年、チーム名に「北海道」が付きました。
「私たちはここ札幌市でファンの皆さんと強い関係で結ばれています。可能であれば札幌市ドームでお会いできるのを楽しみにしています」(トレイ・ヒルマン監督(当時))
ホームグラウンドは札幌市ドームに。
メジャーリーグからはあの男が!
「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです」(新庄剛志選手(当時))