【ファイターズ 球団創設50年】”ファンサービスファースト”と”前例なきチャレンジ” …そして藤井・元球団社長の遺伝子を受け継ぐ”ボールパーク構想” 夢に向かい続ける挑戦の舞台裏
ファイターズが掲げた「ファンサービスファースト」
ファンが驚くパフォーマンスが次々と披露され、いつしか「新庄劇場」と呼ばれました。
このときファイターズが掲げたのが「ファンサービスファースト」です。
「藤井さんが口を開けば『ファンサービスファースト』でしたから」(建山義紀投手コーチ)
「欲を持って活動されたのが藤井さんだと思う」(岩本勉さん)
北海道移転後、誰よりも現場で旗振り役を担ったのが当時の球団社長・藤井純一さんでした。
「12球団見回してもこんな社長はいないです」(ファイターズ 三好健二さん)
「僕だけじゃなしにみんなやってくれたからね。チームワークでどれだけ仕事をするか。みんなが協力してくれた」(藤井純一 元球団社長)
その右手がつかんだのは…。
「北海道日本ハム…斎藤佑樹!」
2010年のドラフト会議。
4球団が1位指名した斎藤佑樹投手を当時の球団社長・藤井さんが引き当てました。
「いや、すごい人を引いてもらって感謝しています」(梨田昌孝監督(当時))
「ファンの皆様に喜んでもらえてよかったなと思っています」(藤井 元球団社長)
大阪桐蔭・中田翔選手に次ぐ注目選手の獲得。
藤井さんは「神の右手」ともてはやされ、そのシルエットはグッズとして販売されるほどでした。
親会社の日本ハムで営業マンだった藤井さん。
Jリーグ「セレッソ大阪」の社長に就任したあと、2006年から2011年までファイターズの社長を務めます。
社長を退いて13年が経ちました。
「よくお越しになるんで。『いまどうや』ってずっと気にかけていただいて」(三好さん)
「当時は優しくもあり、厳しく指導いただきましたけれど、今となっては顔見ると安心する、そんな存在ですね」(ファイターズ 山口伸吾さん)
「こしょばいわ」(藤井 元球団社長)
藤井さんが札幌市ドームで推し進めたのが「ファンサービスファースト」です。