【ファイターズ 球団創設50年】”ファンサービスファースト”と”前例なきチャレンジ” …そして藤井・元球団社長の遺伝子を受け継ぐ”ボールパーク構想” 夢に向かい続ける挑戦の舞台裏
「まず札幌市ドームに来てもらいましょう、野球見なくてもいいからというのをみんなで話し合いました」(藤井 元球団社長)
「日程表配るとか、球場でイベントあったら全員が出る。自分の部署のことじゃないから関係ないよというのは許さなかった」(三好健二さん)
「屋台で先陣切ってお好み焼き焼いてましたからすごいなとしか言いようがない。社長自ら先頭に立って、みんなで力合わせて頑張ろうっていう気持ちが伝わってきます」(山口さん)
「チャレンジ・ウィズ・ドリーム」
当時のエースで、東京時代には選手会長を務めていた岩本勉さんは…。
「ここで俺たち、北海道移転というチャンスを逃したら一生人気チームになれない。もうフットワークしかなかったんですよ。めちゃくちゃ道内うろうろしましたよ。それでもその先には待ってくれている人がいた」(岩本さん)
球場に行けば、楽しいことが待っている。
「ファンサービスファースト」はチームの大切な理念となりました。
「伊藤大海と(ハイタッチ)しました。めっちゃかっこよかったです。」(ファン)
「新庄さんのパフォーマンス、上から降りてきたりとか、ひちょりさん入って色々やったりとか、選手が和気あいあいとしているのが好きでいつも見ている」(ファン)
「昔を思い出しましたね。移転当時みんな一生懸命やってくれましたし。ファンサービスの原点みたいなところでね。懐かしくて選手たちも一生懸命やってくれてるんでうれしく思う」(藤井 元球団社長)
そして、もう一つ。
藤井さんが大切にしていることがありました。
「私が同僚と話をしているときに社長が来て『最近失敗しとるか?』と声をかけられて『特にしてません』と話したところ、『失敗してないってことは挑戦してないってことちゃうんか?』って」(ファイターズ 三谷仁志取締役)
「チャレンジ・ウィズ・ドリーム」。
ファイターズはプロ野球界で初めて経営理念を取り入れたチームになりました。
「夢を持った挑戦を失敗してでもいいから数多くのチャレンジをしようという企業文化を持ち合わせている。それを確実に組織内に浸透させたのが藤井さんのやられたことだと思っている」(三谷取締役)
いまや当たり前となった「ヒーローインタビュー」も、沖縄でキャンプを始めたのもファイターズが最初です。
「暴れまっせ~」(新庄剛志監督)
コーチや指導経験のない人物も監督に抜擢。
そして大谷翔平選手の二刀流挑戦。
「一投一打に一生懸命取り組む」(大谷翔平選手)