【戦後80年】北方領土の元島民の記憶 命がけで島を脱出した漁船が大しけに 持ち出した家財道具を海に「命が惜しいか、たんすが惜しいか」元島民を撮り続ける写真家_あえて“白黒”の理由とは #戦争の記憶
ビザなし交流の時の写真や記念品が並びます。
福沢さんは現在、子どもたちに故郷の歴史を伝える活動を続けています。
「将来また自由に行き来できて、ロシア人と交流する時期が必ず来ると信じています」(福沢さん)
「島々の記憶」写真で残す元島民3世
当時を知る人が減っていく中、元島民を撮り続ける写真家がいます。
元島民3世の山田淳子さんです。
これまで元島民100人以上の姿を撮影してきました。
現在、根室市役所で写真展「島々の記憶」を開催しています。
「亡くなられた方と一緒に島に行きたかったという思いがあります」(写真家 山田 淳子さん)
富山県出身の山田さんが元島民を撮るきっかけとなったのは、歯舞群島の志発島で暮らしていた祖父の存在でした。
「誰にも島でのことを話さずに亡くなったので祖父がどういう人生を送ってきたか、戦前に志発島でどのように暮らしてきたか全く誰も知らない状態。祖父が生きた志発島はどういう島なのか、自分のルーツを知りたい」(山田さん)
「どういう生活をしているのか、島でどういう生活をしていたのか、人となりを知りたい。皆さんの記憶のかけらが集まると大きな記憶になって、それは祖父がした体験なのかと思わせてくれるまで集まってきている」(山田さん)
北方領土現地以外は”あえて白黒” そのワケとは
山田さんは撮影にあたって決めていることがあります。
北方領土現地で撮る際はカラーで、それ以外は白黒で。