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【語り継ぐ戦後80年】故郷の東京から遠く離れた北海道江別市の「世田谷」空襲を逃れて13歳で移住し80年…絶望を生き抜いた先で生まれた絆に93歳男性は「ここが第一の故郷」 #戦争の記憶

社会 コラム・特集 友だち追加
大阪からオホーツクの斜里町に移り住んだ小笠原美那子さん(94)

大阪からオホーツクの斜里町に移り住んだ小笠原美那子さん(94)

 小笠原美那子さん(94)も「拓北農兵隊」の1人です。


 14歳の時、家族6人で大阪からオホーツクの斜里町に移り住みました。

 「食べるものもないし寒いしストーブもないようなところ」

 「近所の人がストーブを持ってきてくれたり」

 「北海道の人はみんな温かく親切でした」(いずれも小笠原さん)

小笠原さんは当時の光景と平和への願いを絵手紙で伝え続けている

小笠原さんは当時の光景と平和への願いを絵手紙で伝え続けている

 つらい記憶とうれしい記憶。


 戦後80年…小笠原さんは当時の光景と平和への願いを絵手紙に込めて伝え続けています。

当時の「世田谷倶楽部」

当時の「世田谷倶楽部」

 作物を育て、牛を飼い、力を合わせて生き抜いた人々。


 当時の世田谷地区にも心を通わす場所がありました。

 「集会所が欲しいというので世田谷のクラブを作った。そこでいろいろ文章を書いたり習字を習ったり」(山形さん)

7月9日に集まった「世田谷倶楽部」

7月9日に集まった「世田谷倶楽部」

 7月9日、入植から80年の節目。


 仲間やその子孫が集まったのは、形を変え、いまに残る「世田谷倶楽部」です。

 年に一度、世田谷で顔を合わせる仲間。

 ジンギスカンをつつきながら思いを馳せます。

世田谷で仲間たちと顔を合わせた

世田谷で仲間たちと顔を合わせた

 「生まれは同じ東京だがちょっと違うんですね。私は当時13歳、3つか4つ年上だよな」(横山さん)


 「やはり土地が悪いから。機械もない時代にやっていたからすごいと思う」(入植4世 阿部愛希さん)

 「このメンバーと会えてやはり懐かしいね。今考えたらよくこんな住んできた、生きてこれた」(山形さん)

「あんなことない方がいいに決まっている」と話す横山さん

「あんなことない方がいいに決まっている」と話す横山さん

 戦争に翻弄されながらも強く生き抜いた人々。


 戦後80年、いま思うことは…

 「第二の故郷というかここが『第一の故郷』。戦争なんて余計事だ。やってはだめ。あんなことない方がいいに決まっている」(横山さん)

 江別市の「世田谷」。

 この土地で生まれた絆が平和の価値を後世に語り継いでいきます。


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