あの日広島の街を焼き尽くした「原爆の火」 80年後の今も遠く離れた札幌で灯し続ける理由…亡き父親の“遺言”を次世代に語り継ぐ 被爆二世の取り組み「一緒に伝えていってくれませんか」
日登寺の住職、佐藤光則さん。
札幌市で原爆の火を守り続ける思いとは。
「絶対に起こしてもらいたくないのが争いごと。孫の代、そのもっと先の代まで戦争を嫌う気持ちは持ってもらいたい」(佐藤さん)
日登寺では原爆が投下された午前8時15分に合わせ黙とうが捧げられました。
参加した被爆者の一人は。
「元気でいるうちは核の廃絶と、戦争は二度とだめだということを訴えて頑張ろうと思う」(被爆者 金子 広子さん)
厚生労働省によると被爆者健康手帳を持つ人は、初めて10万人を下回りました。
北海道内では171人で、平均年齢は86歳を超えています。
平和記念式典で広島市の松井一實市長は、次の世代に向けてこう訴えました。
「次代を担う若い世代には軍事費や安全保障、さらには核兵器のあり方は自分たちの将来に非人道的な結末をもたらし得る課題であることを自覚してもらいたい。その上で、市民社会の総意を形成するための活動を先導し、市民レベルの取り組みの輪を広げてほしい」(松井 広島市長)
亡き父親の思いを語り継ぐ川去さんも誓いを新たにしました。
「きょうの聞き手はあすの語り部。そんな気持ちで私の受け取ったものを引き継いでいきたいと思います。一緒に伝えていってくれませんか」(川去さん)
原爆の火は、これからも平和の尊さを伝え続けます。