【障害を乗り越え…夢への第1打席】野球部のない高等支援学校から独立リーグ「士別サムライブレイズ」に入団した18歳_知的障害で諦めた普通高校での野球…一人でバットを降り続けた3年間<北海道>
野球部のない特別支援学校からこの春、独立リーグの野球チームに入団。
夢への扉をこじ開けた18歳の挑戦を追いました。
高校時代のトレーニングウェアでバッティング練習をする工藤琉人さん。
この日、道北地方を拠点とする独立リーグ「士別サムライブレイズ」の初練習に臨みました。
「(練習は)つらさもありながら、ノックとかで指導してくれて技術的にもプラスになる面があったので初日にしてはだいぶ良かった」(工藤琉人さん)
この場所に立つためには、乗り越えなければならない壁がありました。
琉人さんは普通の高校で野球部に入ることを考えていましたが、軽度の知的障害のため受験できず、北海道網走市の「日本体育大学付属高等支援学校」に入学。
知的障害や発達障害がある、全校生徒76人の男子校です。
「歩いて行かなくちゃ、今よりももっと輝くため~」(合唱)
友人たちとの別れの日まで、あと少し。3年生は卒業式の準備に追われていました。
教室に戻った琉人さんは卒業文集に何を書くか、悩んでいました。
「3年間で学んだ努力の仕方を書こうかなと思ってる」(琉人さん)
「おなかすいた。きょう給食なに?」(琉人さん)
琉人さんが大好きな時間は、みんなで食べる給食です。
「まいう~」(琉人さん)
「(琉人は)バカです。走り回ってますね。ごはんの時はあんまりしゃべらないです。昼休みになると騒いだり、うるさいです」(同級生)
琉人さんは1年生の時から野球選手になる夢を口にしていたといいます。
「毎日のように寄宿舎でバットのスイングや昼休みはキャッチボールをしたり、常に野球と接しながら努力していた姿をずっと見ていた。(軽度知的障害は)はたから見たら、どこに障害がある子たちなの?と思われる子が大半。あまりにも普通の子に見えすぎて、周りがサポートを怠ったり気遣いを怠ったりすると、メンタル的な浮き沈みがある子たちばかり」(3年間指導した照井数哉先生)