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【ドラフト秘話】“同郷のライバル”4位でプロ入りした川崎宗則へのジェラシー「成績は自分が上なのに…」―社会人野球経た元日本ハム・鶴岡慎也氏が語る

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口約束で半信半疑「誰から電話きたかも覚えていない」

――翌年の2002年、日本ハムからドラフト8位で指名されました。

 社会人3年目も目立った成績は出せなくて「このままならドラフトにかからない」と思い、チームに相談して日本ハムとダイエー、横浜のプロテストを受けました。

 日本ハムは、ちょうどキャッチャーを探していたらしく、口約束で「一番下で獲るから」と。今だったら育成契約でしょうね。

 口約束だったので半信半疑で、働きながら指名を待っていました。それから指名されて…誰から電話がかかってきたのかも覚えていないですね(笑)

 当時はテレビやインターネットの放送はないですし、記者会見や新聞社の取材もなかったです。


――同期には武田久投手(ドラフト4位)と小谷野栄一選手(ドラフト5位)がいました。
 あの時は不遇のドラフトと言われました(笑) 同期にセーブ王と打点王の紺田敏正さん(日本ハム・ファーム外野守備走塁コーチ)もいましたね。同期はがんばったと思います。

「痛い 痒い」は絶対言わないと決めた

――社会人野球とプロ野球の差は感じましたか?

 社会人野球と2軍の差は感じませんでしたけど、1軍と2軍の差は感じました。

 スローイングやブロッキングなどの技術もそうですけど、一番は体の大きさに差がありましたね。「こういう人が高校からプロに入るんだな」と思いました。

――プロ生活で大事にしていたことは。
 ちょっとしたことで「痛い、痒い」と絶対に言わない。骨折していても「痛い」と絶対に言わない。

 チャンスが他にいってしまう、すぐクビになりますから。「入ったら横一線」と言われるけど、それは絶対にないですよ。

 ドラフト1位は大事に育てられますけど、自分のドラフト8位という立場を理解していました。

 優勝が決まりそうな時期に足を捻挫して、トレーナーの肩を借りないと歩けないほどのケガでしたが試合に出続けました。

 でも、挟殺プレーは走れない。それを梨田昌孝監督に見られて交代させられました。自分から交代するとは一切言わなかったですね。