ドラマ「北の国から」の脚本家・倉本聰さんが明かす制作秘話と“変わってほしくない”富良野への思い―再放送が照らす観光と環境の葛藤
ドラマ「北の国から」。
田中邦衛さん演じる黒板五郎と息子の純、娘の蛍が東京から北海道富良野市に移住し、大自然の中で生き抜く姿を描いた作品です。
1981年に放送が始まり、その後2002年までに8つの作品が紡がれてきました。
「今日のゲストは倉本聰さんです」(1986年のUHB番組)
放送開始から5年後、ドラマの脚本家・倉本聰さんがUHBの番組で北海道への思いを語っていました。
「(北海道は)ほっとする存在。最近は東京へ行っても一刻も早く帰って来たくて」(倉本聰さん 1986年)
今でもファンが「聖地巡礼」しています。
「感動している。今にも泣きそう。いろいろ回って思い出しながら。忘れてるから何話目だっけ?など言いながらもう1回また見たくなった」
「純くんと同じ年でずっと『北の国から』と僕も同じように育ってきた。『子どもがまだ食べてる途中でしょうが』」(いずれも神奈川県からのファン)
ラベンダー畑などの人気スポットも生まれ、富良野はその後も毎年約200万人近くが訪れる観光地となりました。
「僕の中ではもう北海道=富良野、富良野=『北の国から』。北海道の情報はだいたい『北の国から』で得た」(神奈川県からのファン)
「『北の国から』がないと富良野観光は厳しい部分があった」
「建物なので古くなっていくのでどうしても修繕が必要。毎年直すところは直してしっかり守っていこうと思っています」(いずれもふらの観光協会 峰廻賢専務理事)