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【倉本聰さんが愛したレストラン】「建物も料理も景色も一つの作品である」倉本さんと出会い東京から富良野へ…その教えを受け継ぐ夫婦の物語〈北海道〉

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「風のガーデン」ロケ地(2009年)

「風のガーデン」ロケ地(2009年)

 「ある日突然、店にお電話がかかってきまして『北海道の倉本です。来週の月曜日、東京に行くからお店に寄りたい』と。その日、ドキドキしながら待っていたんですね。ふっと店の玄関を見たら蛍ちゃんが立ってて、びっくりしまして。蛍ちゃんの次には大竹しのぶさんがいらっしゃって。先生と奥様と4人でお食事をされたのが初めてのこと」(敬子さん)


 この食事のあと、倉本さんは2人に新富良野プリンスホテルの敷地を紹介したといいます。

 店のデザインにもアイデアを出し夢を後押しした倉本さんは、料理にも注文をつけました。

 「『新鮮な素材をシンプルに料理するには、イタリア料理のテイストを入れた方がいいんじゃないか』って、そういうアドバイスをいただきまして。僕はもうフランス料理をずっとやってたので、『僕、イタリア料理なんかできません。年も年だし』って言いましたら、先生が『まだ僕はね、80代でも常に新しいことに挑戦してるんだ。君はいくつだ?』と。ちょうど60歳になるところで『60だったらまだ若造じゃないか。これからまだどんどん挑戦しなさい』ということで、僕もやる気になった」(健一さん)

倉本さんからのプレゼント…名前は「大里れい」

倉本さんからのプレゼント…名前は「大里れい」

 大塚さん夫婦が飼っている馬が出産したときには、お祝いのプレゼントをくれました。


 「(出産の)次の日の朝、先生と奥様が生まれたばかりの犬を抱えていらっしゃった。『これ、生まれた子馬のハッピーバースデープレゼント』と言って渡されたんです。『名前は大里れい』っておっしゃいました。『北の国から』の純くんの初恋の人」(敬子さん)

 「れい」は15歳になった今も近くの森を元気に走り回っています。

倉本先生は富良野の森に…

倉本先生は富良野の森に…

 倉本さんが亡くなって、いま感じることは…


 「いらっしゃらなくなった後、この富良野の森が一時、本当に寂しそうで、こんな悲しそうな森はなかった。森や山が辛そうでした」

 「先生はやっぱりこの富良野の森になったんだと思うんですよね。この森の中にいれば先生が多分どっかにいらっしゃる」(いずれも敬子さん)

 「(Q:これからも先生の思いを背負ってやっていく?)そうです。その通りです」(敬子さんと健一さん)


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