【北朝鮮拉致問題】「4人が一緒だと今でも思っている」1967年雄武町沖でイカ漁の家族4人が消息を絶つ…無事を祈る女性が聞いた”40年後の新証言”〈北海道〉
1967年冬、当時住んでいた北海道オホーツクの雄武町で、父親・紙谷慶五郎さんと兄弟3人を乗せたイカ漁の漁船が消息を絶ちました。
「(周囲は)取りすぎで船が傾いた。遭難ではなく事故だという言い方だった」(北越さん)
4人が身に着けていたものは何も見つからず、一方で漁船は海底で発見されました。
捜索にあたった船に同乗した北越さんは船員のやりとりを耳にします。
「『これ船に穴開けられている』『海水を入れられているな』。それがあったから絶対究明すると」(北越さん)
”ただの事故ではない”。
北越さんが調べる中で町内でよく見かける女性の夫が、当時潜伏していた北朝鮮の工作員だとみられることが分かりました。
「この人が工作員の妻だとは知らなかった」(北越さん)
さらに2013年、兄の同級生の男性が当時の状況を初めて証言します。
「紙谷(さん)の船が黒い船と白いマストの大きな船など3艘に囲まれて漁場から連れて行かれた」(兄の同級生)
「びっくりしました。私泣きました」(北越さん)
男性はある人物に口止めされていたと明かしました。
この人物はのちに北朝鮮とのつながりが疑われます。
「『今見たことを言ったら殺すからな、殺されるからな』と言われ(男性は)40年以上言えないでいたんだと。言いたくても言えない。自分が殺される。私より苦しかったろうな」(北越さん)
直接話を聞こうと当時のことを証言した男性を捜しましたが、3年前に亡くなっていたことが分かりました。
「4人が一緒にいるということを自分は今でも思っている。向こう(北朝鮮)で幸せに暮らしていればいいなと最近思うようになった。帰ってこなくてもいいよと。そっちで本当に幸せに暮らしていてくれれば」(北越さん)
札幌市での講演を終えた曽我ひとみさん。
「24年間北朝鮮にいる中でずっとこの時計と一緒に母を思いながら生活していた。この時計が母だと思って良いこと、悪いこと全部話しかけていた」(曽我さん)
母親のミヨシさんが買ってくれた腕時計をずっと身につけていました。
2人が拉致された日からまもなく48年という時間が過ぎようとしています。




















