【新千歳空港の謎】「新」はなぜついた?“旧”千歳空港と地元民が作った飛行場「村民総出で2日間かけて着陸場を…」衝撃の誕生秘話!
「飛行機が見たいから」飛行場を作った?
千歳と空港を巡る不思議な歴史。
現在の南千歳駅こそ、当時の千歳空港駅。
そこからターミナルへと延びる長い連絡歩道橋が千歳空港名物でした。
千歳空港という名前は消えましたが、千歳飛行場はいまも自衛隊の基地の中に残っています。
しかし、なぜこの場所に昔から飛行場があったのか。
新たな疑問を追って向かったのは、詳しい方がいるという千歳市役所。
「なぜ千歳飛行場があの場所にできた?」(廣岡アナウンサー)
「飛行機が見たいからというのが、一番簡単な理由」(千歳市企画部 中村充さん)
飛行機が見たいから飛行場をつくった?
「一番最初に飛行機が千歳上空に飛ぶ機会があった。それなら近くで見たいとなり、着陸場がないから住民でつくった」(中村充さん)
1926年、当時の小樽新聞社が汽車に乗って千歳で観楓会を計画しました。
その際、食事を提供する村人へのお礼として、飛行機を飛ばすと約束。
村民総出で、二日間かけて着陸場を作り上げたのです。
「それほどまでに飛行機が見たかった」(廣岡アナウンサー)
当時は草地だった場所を村人たちが即席の着陸場に整備。
それが現在の航空自衛隊、千歳基地内の千歳飛行場の元となりました。
ここから始まった千歳と空港の長い歴史。
そして2026年で100年をむかえることから、記念イベントも計画されています。
千歳と空港の歩みを見守る喫茶店
最後に向かったのは、千歳と空港の歩みを長く見守ってきた一軒の喫茶店。
その場所には空港とともに刻まれた時間が流れていました。
「こちらのお店は何年?」(廣岡アナウンサー)
「昭和49年(1974年)」(東亜珈琲館 鈴木英範さん)
まだ千歳空港と呼ばれていた頃に開店。
そのお店の名前にも、空港との深い由来が隠されていました。
「純喫茶でいこうと思って、東亜国内航空の東亜をとってやろうと」(鈴木英範さん)
「東亜国内航空の関係者の方が来て下さるようになった?」(廣岡アナウンサー)
「よくここで支店長会議やってくれたりして」(鈴木英範さん)
「パイロットやCAの方も?」(廣岡アナウンサー)
「先々月『CAをやっていました』という方が寄ってくれた。昔話に花が咲いて」(鈴木英範さん)
1988年まで存在していた千歳空港。
その姿は消えても、マスターの心にいまも鮮やかな思い出が刻まれています。