終戦から79年 悲惨な"戦争体験"笑い交えて伝える北海道出身のお笑いコンビ 被爆者の体験聞き取り原爆を漫才のテーマに 次の世代に歴史引き継ぐ―笑いと戦争の"語り部"へ
原爆の体験を漫才に込めて
79年前の8月6日に広島、9日には長崎に投下された原爆。その年、広島で約14万人、長崎で約7万人が亡くなりました。
「茶化す笑いじゃないので」(竹森さん)
「よくバカにしていると受け取られる。我々はメッセージを届けるために笑いというものを使っているだけ。(戦時中の)時代にも笑いはあったし、一生懸命生きているから笑っていたんだろう、というのを知ってもらいたい」(阿部さん)
十勝の幕別町。戦争の悲惨さを伝えてほしいと地元の依頼を受け、原爆の漫才を披露することを決めました。
「今回は原爆をテーマにした世界初の漫才を披露したい」
「漫才ですからね笑い所では楽しんで」
「笑い所があるかどうかもわかりません」
「大問題だよ」
「防空壕で隠れて身を潜めていたらどっかーん」
「大爆笑」
「違うよ」
「空襲の中ですよ。防空壕飛び出して(違法に造った)どぶろくの所まで行く」
「証拠隠滅のためにどぶろくを飲みだす。エスプレッソか」
笑いに包まれる会場。そして、原爆の話に。
「景色は一変していました。僕が住む町は一面炎に包まれ赤い荒波が立ち騒いでいるかのよう」
「何も残ってないのを見て初めて母や姉、家族を思い出した」
「自分が死ぬんじゃないかという不安が先に立ち、家族のことを忘れていた」
当時を生きた人たちが見た景色、感じたぬくもり、そして、悲惨さの中にもあった「笑い」。その光景が目の前に浮かび上がります。
「今の時代にあった戦争や平和の伝え方で勉強になったし、子どもにとってもいい機会」
「戦争体験をしていない年代なのに、こういう題材にした(お笑いをやるのは)すごく良い試み」(いずれも観客)
「客の空気がよくてメッセージを受けとってもらえた」(阿部さん)
「(当時の人たちは)いまの我々と同じような目線だと思う。(事実を)そむけないで知って、じゃあ次そうならないためにどうするかということを、みんなで考えていけたら」(竹森さん)
悲劇は二度と繰り返さない。笑いと戦争の「語り部」は次の世代に向け歴史を引き継ぎます。