“北海道が誇る食文化ジンギスカン”伝統を守り進化を続ける「マツオ」松尾吉洋さん #BOSSTALK
【食肉】松尾ジンギスカンで知られる「マツオ」(滝川市)は食肉加工からスタートし、レストラン事業なども展開している。松尾吉洋社長に道民のソウルフード・ジンギスカンの魅力と、特別の日を演出し思い出づくりに貢献したいという思いについて聞きました。
幼少期から漠然と思い描いていた家業の経営 父親の急逝で決断
――松尾ジンギスカンの創業家に生まれて、幼いころから家業を継ぐと思っていましたか?
実家が滝川の本店の横で、電話が内線でつながっており、(家業は)生活と一体的でした。小さなころは高速道路がまだできてなくて、毎日30台、40台の観光バスが店の前に来て、ジンギスカンの香りが立ち込めて、ちょっとつまみ食いに行くなど、生活とともにもジンギスカンがある状況でした。創業者が祖父で、父が2代目の社長。私はその長男です。「お前が継ぐんだぞ」という言葉を直接掛けられたわけではありませんが、漠然と、当然(家業を)継ぐという意識で育ってきたのは間違いないですね
――就職はどうされましたか。
高校、大学は東京の学校でした。さまざまな社会の経験するため、30歳ぐらいまでは東京で働いてから北海道に戻ろうという父とのコンセンサスがありました。ただ大学を卒業する前年、父が50歳の若さである日、突然、脳卒中で倒れて亡くなりました。健在だった祖父と話して、卒業後、滝川に戻って来ることになりました。
ブランドの再定義プロジェクト 社員の思いと行動が同じ方向に
――松尾に入社され、どういうことをされましたか?
ジンギスカンの原料が入ってから商品になるまでの一連の作業というのを勉強し、松尾ジンギスカンの一番の特徴である秘伝のタレの配合も学びました。
――副社長に就任されて取り組んだことは?
リブランディングと呼ぶブランドの再定義プロジェクトを行いました。2012年ごろです。われわれにとって松尾ジンギスカンは一番の財産です。お客さまへのアンケートの中で、「松尾ジンギスカンとは」という質問をさせていただきました。楽しい思い出とつながっているというご意見がすごく多かったです。昔は学校の大運動会が開かれると、グラウンドでジンギスカンを楽しんだり、お盆に帰省で東京などから帰って来たら親戚が集まって味わったりして、良い思い出となっていました。味だけではなく、鍋を囲むことによって家族、仲間がそういう思い出を作ることができ、そんな記憶とともに松尾ジンギスカンはある。漠然とそういう意識はあってもブランドの価値規定の中で明文化されていなかったので、松尾ジンギスカンのブランドプロミスを作成しました。「いつでも、どこでもおいしい 道民のソウルフードとして 家族や仲間との思い出づくりに貢献し続けること 北海道が誇る食文化ジンギスカンのおいしさを世界に発信してゆくこと これが、松尾ジンギスカンの約束です」。ブランドプロミスを全従業員が日々、朝礼で唱和しています。全ての従業員の行動はここにつながっている。明文化し共有化したのは社員、会社が同じ方向を向く良いきっかけになりました。