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ダムづくりから転身…"酒が飲めない三代目"手がける人気角打ち&専門店「酒商たかの」高野洋一さん #BOSSTALK

道内経済 友だち追加

 プロレスファン限定などユニークな銘酒会や独創的なアテで話題の酒専門店を札幌、小樽両市で展開する「酒商たかの」。仕掛け人は海外でダムづくりに奔走していたエンジニアから転身した副社長、高野洋一さんです。通り名は"酒が飲めない3代目"。まったく酒を受けつけない体質の高野さんが店を継いだ経緯やSNSを活用したビジネス展開の秘策を聞きました。

 「酒商たかの」は1947年に日用品の卸問屋として小樽市で創業後、時代の流れに合わせ、酒の取り扱いを開始。札幌にも進出し、酒店に飲酒スペースを設けた「角打ち」を展開し話題となっています。

「絶対に継がない」ゼネコンに入り海外勤務希望

「絶対に継ぎたくない」との思いからエンジニアとなり海外へ

「絶対に継ぎたくない」との思いからエンジニアとなり海外へ

――"酒の飲めない三代目"が通り名と聞きました。
 はい。1滴も飲み込むことができないんですね。僕自身がアルコールアレルギーで、飲み込むと湿疹が出て赤い斑点みたいのが出てしまうという致命的な体質です。

――三代目ですから、小さいころから酒を売る商売をするぞと決めてらっしゃったんですか?
 "継ぐ気ゼロ組"でした。むしろアンチです。「絶対継がないぞ」という思いを持って小中高大と過ごしました。大学は理系。工学部に行き、商業には絶対いかない。意思表示です。商いはしないぞと。

――就職はどうされたんですか?
 就職は東京のゼネコンの会社に入りました。技術屋として飯を食っていくと。

 面接のときから僕は海外行きたいですっていうのをずっとアピールしていたら、新入社員になって半年後ぐらいに海外勤務が決まって、ダムの建設でアジアを転々としました。

 そこまで行けば両親も文句言わないだろうとずっと思っていました。僕が30歳のころ、未だに覚えてるんですけど、スリランカのジャングルしかないところで、国際電話で母に全く別件で話していた際、「オレ帰るね」って言っちゃったんです。

 もう言葉にできない、血が理性を凌駕する瞬間でした。言った瞬間にもうやばいと。子供のころからずっと両親が資金繰りでケンカしている姿しか僕は見てないので。

――帰って決算書とか目にしますよね。実際どうだったんですか?
 僕はエンジニア畑だったので帰って商売のイロハもわからなかった。決算書も全部見方もわからなかったんです。

 でも知識が徐々についていくわけですよ。とんでもないところに帰ってきてしまったことに気づきます。2年間ぐらいは給料はありませんでした。前職で貯蓄があったので、やりくりしつつ、何とか生活は保っていました。

――実家を継ぐっていう選択に奥様はどんな反応でしたか?
 妻とはサラリーマン時代に結婚し、一緒にスリランカで住んでいました。未だに頭が上がらないんですけど、何も言わなかったんです。