【倉本聰さんが遺した活力】ドラマの聖地には今も…あの”世界観”「北の国から」で観光客は10倍に「富良野」の名は全国そして世界に〈北海道富良野市〉
「倉本先生ご自身がストーリーを草案・立案して、原稿を書き始めたのが、ここのちょうど後ろの『このベンチだ』とご本人が話していました」(布部駅再生プロジェクト 吉村圭一郎さん)
田中邦衛さんに、竹下景子さんのサイン。
富良野市内にある旧布部駅。
倉本聰さんが手がけたドラマ「北の国から」に何度も登場します。
駅の中には、ドラマ撮影時の思い出の品がずらり。
駅は2024年に廃止されましたが、吉村さんは有志と「ファンの聖地」を守り続けています。
「地元の方たちのご協力を得て、駅舎の中の整備などをして、今年の7月25日から正式にみなさんに見ていただけるようになった」(布部駅再生プロジェクト 吉村さん)
ドラマの舞台となった麓郷に住む吉村さんは、今も「北の国から」を感じています。
「ドラマの世界観が今でも全然終わっていない感じがする。例えば(ドラマに出て来た)五郎さんが歩いてきたりだとか、純や蛍が歩いてくるような空気感。あれ、後ろにいる?と思うような雰囲気。それが倉本先生が遺してくれた地元への遺産なのかなと、僕らは思っています」(布部駅再生プロジェクト 吉村さん)
「北の国からというテレビドラマは自然や富良野の四季折々を全部出してくれた。(多くの人が富良野に)来るようになったのは先生のおかげしかないと思いますよね」(ふらの観光協会 峰廻賢 専務理事)
ふらの観光協会によると、1970年代までは、富良野周辺の観光と言えば、「山スキー」などの冬がメインでした。
1977年、倉本さんが移り住み、その後、「北の国から」が始まると…。
「(1995年7月の)開館以来、1日平均1000人以上は入っている」(仲世古善雄・「北の国から」資料館長=1995年当時)
ロケ地巡りが流行し、夏も観光客があふれました。
ピークはドラマが終わった2002年度の約250万人。
2025年度は60年前の約10倍になりました。
数々の「倉本作品」が今も、富良野観光の発展を支えています。





















