「北の国から」脚本家の倉本聰さん逝去(享年91)北海道に移住し「東京時代は目線が高かった。地べたすれすれの目線で書いてみたい」数々の名語録残す…さだまさしさんら各界・視聴者から惜しむ声
「この映像に歌詞はいらない」―。
「北の国から」のさまざまなシーンで、人々の思いを代弁するかのような印象的な主題歌を作り上げたシンガーソングライターのさだまさしさん。
「『北の国から』のビデオを一回目、二回目見たあとで、『今作れ』って言われた瞬間が一番怖かったですね。今かよって。『何でもいいから声出せよ』って言われて。『え、なんでもいいの』と思って『あーあー』とか言ったら、『出るじゃないか声』『もう一回もう一回』『それいいじゃないか』と言われた。今思えば楽しい一日でしたね」(シンガーソングライター さだまさしさん)
「北の国から」は、富良野市の知名度を全国区に引き上げました。
「富良野にとって大きな影響力を持った方ですからね。その方が亡くなったというのは喪失感が大きい」(富良野市民)
「驚きやね。田中邦衛さんも亡くなったけど、まだ純君は元気だから続きを見たかった」(大阪から)
「まず富良野を知らなかったけどドラマを通じて知った。もう1回見返して楽しみたいと思います」(神奈川県から)
「多い時は1週間に3回くらい来店するので、私も同じものを出せない。だんだんメニューが増えていった。倉本さんには感謝以外の気持ちはありません」(くまげら店主 森本毅さん)
在りし日の倉本さんと交流があった北猛俊富良野市長は、感謝の思いを語りました。
「町が変わったぐらいの功績がありますよね。とりわけ大きくクローズアップされたのがラベンダーということで、観光もあの時点から夏の観光に切り替わってきた。大変ありがたいことだというふうに思ってます」(富良野市 北猛俊市長)
テレビドラマや映画、演劇などで、北海道の大自然を舞台に人々の生き様を描き続けた倉本さん。
倉本さんが残したものは、北海道の人々の心に深く刻まれています。
「自然というのは人間が過度に住んじゃうと、どうしても汚していくんですよね。今の地球温暖化がそうでしょ。あまり変わってほしくないというのが一番ですよね」(倉本聰さん)


















