【”ふるさと”を苦しめる暑さと断水】熊本出身のUHB記者が体験した”10年間で2つの大地震”…最高気温40℃以上の「酷暑日」と3週間にわたる断水「電気がきたときは号泣…早く水が出てくれたら」
8月12日、熊本県氷川町である家族が誕生日のパーティーを開いていました。
「4歳です」
「おめでとう。誕生日プレゼント、またいつか買いに行こうね」(被災した家族)
今も断水が続いていて、ごはんを作れません。誕生日は炊き出しのお弁当で祝いました。
私が熊本県の被災地に向かったのは、地震発生から4日後でした。
私は熊本で生まれ育ち、10年前の熊本地震のときは高校1年生でした。
熊本城が修復されていくのを見ながら高校生活を送りました。
「いま余震がありました」(福岡百記者)
10年前も余震が続き、揺れで酔うような状態を経験しましたが、そのとき感じた不安や恐怖を思い出しました。
誕生日を祝っていたあの家族です。
地震発生から5日間、家で電気が使えるようになるまで車中泊を続けました。
「電気が来たとき、号泣で号泣で。だから早く水が出てくれたらいいんですけど。物資とかもいただいてるから、ありがたいなって」(古賀小百合さん)
自宅を見せてもらいました。
古賀さんは限られた水を工夫して使っていました。
「水道の代わりという感じ」(古賀さん)
トイレの水を用意するのも重労働です。
近所の地下水を分けてもらい、浴槽にためています。
この水をバケツにくんで、1日に何度もトイレに運んでいました。
「バケツに2回から3回したらたまるので、それをいつも繰り返して流している」
「(Q:トイレするのに2回ぐらい必要?)ペーパーが底で止まってる状態だから、3回ぐらいしないと流れない」(いずれも古賀さん)





















