【高校生がたどる沖縄戦】”24歳教師”の遺族を捜し沖縄→夕張→札幌へ…高校3年生が”101歳の弟”に伝えた最期の瞬間「兄貴のことは忘れない」〈北海道〉
大滝庫一さんの弟で、現在101歳の保次さん。
父親が沖縄戦の指揮官に書いた手紙、そして兄の写真が渡されました。
「捜し出すのに9年かかりました。会えてよかった」(浜田さん)
「夕張によく訪ねて行ってくれたね」(弟 保次さん)
大滝庫一さんは師範学校を卒業して先生になりました。その後すぐに徴兵され、教壇に立てたのは半年だけだったといいます。
最期の様子を指揮官が書きとめていました。
「大滝庫一少尉、大山隊、歩兵三十二連隊、第一大隊、第二中隊に所属していました。五月六日、西原町の棚原高地で戦没されました」
「薄い天井の野戦陣地内で戦っていた大滝少尉たちはひとたまりもありません。爆発の土煙が上がるたびにバラバラになった部下の体の一部が吹き上がるのを無念の思いで見守るだけだったと伊東大隊長は話されます」
「大滝少尉はこの攻撃で戦没されました」(いずれも浜元美帆さんが代読)
「(兄は)頭がよくて。まじめだった。兄貴のことは僕も忘れない。いろいろと思い起こさせてくれて、ありがとうございます」(保次さん)
戦地に向かう兄の壮行会。お別れの日を前に、隣には両親が座っています。
「(兄の葬儀では)父親は無言でだまって下向いたまんま。(母親も)同じ」
「とにかくうれしいしかないですよ。ありがたい」
「80年もたって手元に返ってきた」(いずれも保次さん)
「一番は、『ありがとう』という言葉がすごくうれしくなりました。ありがとうございました」(浜元さん)
「私もきょうだいがいて自分が一番上。弟、妹と重ね合わせちゃって。北海道に来てよかった。返せてよかった」(浜元さん)
沖縄戦で亡くなった北海道出身者は1万808人。そのほとんどの遺骨や遺品はまだ沖縄に残されたままです。



















