【高校生がたどる沖縄戦】”24歳教師”の遺族を捜し沖縄→夕張→札幌へ…高校3年生が”101歳の弟”に伝えた最期の瞬間「兄貴のことは忘れない」〈北海道〉
遺族に渡したいのは、手紙と写真です。手紙には夕張の住所が書かれていました。
「(戦争について)いろんな考えとか落とし込めることができると思ったので。北海道に行ったらご遺族に会えるかもしれないので」(浜元美帆さん)
「ここに大滝さんという方が……」(浜田哲ニさん)
「わかんないです」(住民)
「大滝さんという方がいたのですが、ご存じないですかね」(浜田さん)
「大滝さんなんていないよね」(寺の人)
何軒も尋ねて回りますが、情報は得られません。
「厳しいかもしれんな」(浜田さん)
この活動は浜田哲ニさんと律子さんの夫婦がボランティアで行っています。
沖縄戦で亡くなった人の遺骨などを25年以上にわたって探し続け、家族のもとへ返しています。
手紙は沖縄戦の指揮官が保管していました。
部下の遺族が返信してきた手紙であわせて356通。遺族に返してほしいと浜田さん夫婦に託されました。
「一刻も早くご遺族の元にお届けしたい。だけどご遺族の行方、結局手紙には70数年前の住所しかのっていないので、それで探る限りなかなか見つからない」(浜田さん)
いま捜しているのは、大滝庫一さんの遺族です。
大滝庫一さんは1945年、沖縄に上陸してきたアメリカ軍との激戦で亡くなりました。24歳でした。
地元のレストランでも分からず、あきらめかけていたときでした。
「おばが夕張の人なんですが、大滝さんを知っているみたいで」(レストランのオーナー)
「えっ!」(一同)
「札幌にいるらしい」(レストランのオーナー)
レストランのオーナーが親戚に聞いてくれて、大滝庫一さんの遺族の連絡先が分かりました。
遺族は夕張から札幌に引っ越していたのです。
教えてもらった電話番号に連絡してみます。
「やったー!」(浜田さん)




















