【北朝鮮拉致問題】「4人が一緒だと今でも思っている」1967年雄武町沖でイカ漁の家族4人が消息を絶つ…無事を祈る女性が聞いた”40年後の新証言”〈北海道〉
「男性3人が足早に駆け寄り私と母に襲いかかってきました。抵抗することもできず口をふさがれ手足を縛られ、南京袋のようなものをかぶせられ担がれて川まで連れて行かれた」(曽我ひとみさん)
7月3日、北海道で初めて講演を行った曽我ひとみさん。
1978年8月、当時19歳だった曽我さんは母親のミヨシさん(当時46)と共に家の近くで北朝鮮の工作員に拉致されました。
「景色を見るとまったく見たことのないさびれた感じの港だった」(曽我さん)
ミヨシさんとは離れ離れにされ、過酷な暮らしを強いられました。
「米に小石を混ぜてかさ上げされたものが配られたり、虫がたくさん混じった米が配られたりと考えられないことが日常茶飯事だった。日本という国は私一人など助けてはくれないんだろうという失望の中で24年間生きてきた」(曽我さん)
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人の拉致を認め、曽我さんは北朝鮮から帰国します。
しかし、母親のミヨシさんの安否はいまも分かっていません。
「『ただいま』『おかえり』この言葉を1日でも早く聞きたいだけ」(曽我さん)
道内には政府が認定する拉致被害者が1人、警察庁が「拉致の可能性が排除できない」としている行方不明者が85人います。
拉致の可能性がある全国871人のうち北海道が最多です。
「日本が海に囲まれているという地理的な条件。人口が少なく海岸線の見張りが少ないということで、北海道が狙われやすい状況だったのかもしれない」(北朝鮮情勢に詳しい 桜美林大学 塚本壮一教授)





















