週間番組表

MENU CLOSE
検索

宿泊運営の常識を変える挑戦で地域と未来をつなぐ 「MASSIVE SAPPORO」川村健治さん #BOSSTALK

道内経済 友だち追加

UHB 北海道文化放送

【不動産】MASSIVE SAPPORO(マッシブ サッポロ)はシェアハウス、民泊の運営代行、フロント無人型の宿泊施設の企画・経営など、先駆的な事業へのチャレンジで知られる。代表取締役の川村健治さんに、成長の原動力となった「ぼくちゃん、分かんない」経営について聞きました。BOSS TALK#107


――無人型のホテルとは?
「フロントにあるタブレットを使い、うちの全世界のメンバーがフロント役を務め、チェックインできる仕組み。現地に人を配置しません」
――子どものころ、どういったお子さんでしたか。
「小学1年から4年まで毎日、同じ友達と遊びを続け、その反省から、小学5年からは浅く広くつき合うようにしました。どのグループにも顔を出すので、どのグループからも、自分のグループの仲間ではないと思われ、居場所がありませんでした。高校2年の冬、中学時代の同級生と再会し、その友人の家に行くと、いろいろな高校の友達が集まっていました。居場所や親友ができ、自分の人生が明るく光輝くようになりました。居場所や親友の存在が人間を強くすると分かったのが自分の原点です」

睡眠を削って働く日々 目を掛けてくれた上司とのささいな行き違いで閑職に

2011年 シェアハウス「BUIE宮の森」開業

2011年 シェアハウス「BUIE宮の森」開業

――就職は?

「広告代理店志望でしたが、就職氷河期でもあり、かなわず、給料が高そうな健康医療器具の会社に入りました。うまくいけば1年目から年収3000万円も夢ではありませんでした。本当に死ぬ気で働いたのに、会社は厳しく、1年11カ月で解雇になりました。次はデザイナーズマンションの先駆け不動産ディベロッパーに転職し、上司にかわいがられ、うれしくて毎日、3時間睡眠で働きました。年収は2000万円を超え、5年間ほど勤めましたが、その上司と、ささいな行き違いで怒りを買い、たった1日で全部のプロジェクトから外されました。世の中、こういうものなんだと思いました」
――その後、どうされましたか。
「30歳のころ、上海に留学しました。本当に楽しかったです。授業をまじめに受けて中国語を勉強しますが、株式投資をしながら、学生とマージャンやカラオケで遊んでいました。人生で時間もお金もあるときは、そうそうありません」
――今の事業につながるものに出合いましたか。
「上海は大都会で、家賃が高く、3LDKに8人ほどが住んでいる話をよく聞きました。自分も寮生活で、楽しかったです。自分の次のビジネスにつながる経験でした」
――まさにシェアハウスですね。帰国後、すぐに始めたのですか。
「前職の元上司に誘われ、元上司の立ち上げた東京の会社に入り、2年間ほどオフィスビルのブランディングの仕事をしましたが、辞めることにしました。地元・札幌に帰って起業を考えたとき、シェアハウスを思い立ちました」
――道内にシェアハウスは当時、ありましたか。
「ありません。うちは始めて3年で、シェアハウスは9物件二百数十室に増えました。想定した倍のペースでしたが、あまり儲からず、経済的に厳しく、実家暮らしを強いられるほど。このままでは結婚もできないと思っていたとき、知り合いから、外国人が利用する民泊施設の予約サイト「エアビーアンドビー」を知らされ、シェアハウスの空き部屋の2部屋を載せました。1カ月の家賃3万、4万円の部屋の売り上げが20万円に達し、民泊を本格化させました。社員数はシェアハウス時代には1、2人でしたが、民泊を始めてからは5人、10人、30人、40人と、どんどん増え、売り上げは4年で20倍になりました」



認定こども園の保育教諭
学校法人江別若葉学園 認定こども園 元江別わかば幼稚園
北海道
月給20万9,060円~23万3,310円
正社員
半年給与保証のタクシードライバー/未経験や2種免許なし歓迎/賞与総額80万円実績あり
平岸ハイヤー株式会社
北海道
月給20万円~40万円
正社員