【ファイターズ】「僕も変わろう」清宮幸太郎、新庄監督と歩んだ3年間―変化を受け入れつかんだ"成長と覚醒の兆し"
2024年、2年連続最下位からの巻き返しで、2位に大躍進を遂げた北海道日本ハムファイターズ。
【写真】2025年ファイターズ沖縄春季キャンプギャラリー
その原動力となったのは間違いなく清宮幸太郎選手(25)です。
ケガなどで出遅れたものの、プロ初となる打率3割に15本塁打。今年はフルシーズンでの活躍が期待される清宮選手に、プロ8年間の歩みと今シーズンの決意を聞きました。
◎「あの時は無双していましたね」鳴り物入りでプロ野球の世界へ
清宮選手は間違いなく神童でした。リトルリーグでは3番・エースで世界一を経験。
「130本くらいホームランを打って…何本打ったか分からない。あの時は無双していましたね」
早稲田実業高校に進学し、2015年の夏の甲子園では1年生ながら2本塁打を記録、全国にその名が知れ渡りました。
「甲子園も緊張が全然なくて、1打席目から楽しめて、今でもそんな感じなので、僕ってそういうタイプなんだなという感じですかね(笑)」と、当時と変わらない笑顔で振り返りました。
結果、高校通算本塁打数を更新する111本塁打を記録、ドラフト会議では1995年の福留孝介選手(PL学園)に並ぶ史上最多タイの7球団競合の末、ファイターズが交渉権を獲得し、プロの世界に進みました。
◎「若いうちにメジャーへ行って…」プロ野球人生の理想と現実 "同世代"村上との比較には「僕には僕のペースがある」持ち前の“鈍感力”で乗り越えた周囲の雑音
「1年目から一軍でバンバン活躍してホームランをいっぱい打って。すぐにタイトルをとって、若いうちからメジャーに行って、というイメージでしたね」
清宮選手が思い描いていた輝かしいプロ野球人生。しかし、高校時代とは違うバットで苦しむことになります。
「球は見えているのに、思ったところにバットが出てこない。『金属バットなら打っているのになー』ということが多くて。相手というより自分の動きに苦しみましたね」
木製バットに苦しみながらも1年目は53試合に出場し7本塁打。
高卒1年目として十分な数字でしたが、2年目と3年目も7本塁打にとどまり、ファンからの期待に応えられないシーズンが続きました。
一方で目覚ましい成長と活躍を見せていたのが、清宮選手と同学年のライバルとされていたヤクルトの村上宗隆選手。
村上選手は2年目に36本塁打を記録、2022年には史上最年少の三冠王に輝きました。
プロの世界で伸び悩む清宮選手との対照的な成績も相まって、清宮選手の評価は村上選手とセットで語られてきました。
「そこは絶対に比べられると思っているので、それはそうだと思っています」
清宮選手も認める周囲の声。
「ただ、彼は彼のペースがあって、僕には僕のペースがある。いろいろな打ち方があるように、人生にもいろいろな道があると思います。『僕はこういう道を歩んでいる』と思っています」
良い意味で相手と比較をせず、自分の道を一歩ずつ着実に進んでいくことを強調。
また、外部の雑音についても―
「わからないです。すいません。めっちゃ鈍感で全然届かないタイプなんです。『言われているんだろうな』と思ってはいますが、別にあまり気にならないです」
この“鈍感力”が清宮選手のメンタルを支えているようです。