【胆振東部地震から8年】北海道で初めて“震度7”を観測した厚真町…敬愛する“おじさん”の遺志を継ぎ曲を紡ぎ続けた青年…人口減少が続く町に「僕はずっといる」悲しみを乗り越え故郷に生きる
8年の歳月が過ぎ、高校生だった高橋さんは楽団とともに歩みを進め青年へと成長しました。
おじさんのような農家の役に立ちたい。
高橋さんは高校卒業後、地元に残り農業用水の整備などを行う仕事に就きました。
農家を支えながら、震災から立ち直る町を見つめてきました。
「時間がたつとどんどん忘れられるのは事実。そこをどうしていくか」(高橋さん)
厚真町では1957年をピークに人口減少が続き、胆振東部地震以降、それがさらに進みました。
高橋さんには今、ある気持ちが芽生えてきました。
「かずおじさんも農家をやっていたので、農家をやりたいという気持ちがある。いろいろ学んでいるが、まだ全然わからないことだらけ」(高橋さん)
このあとも、故郷で暮らし続けていくのでしょうか。
「僕はずっといる。町から出ることはないと思う。地元が好き。人が多いところは嫌いなので」(高橋さん)
この日は町内の神社の祭りで演奏です。
おじさんが生前、最後にタクトを振ったステージです。
愛するおじさんは、もういません。
しかし、演奏する高橋さんの視線の先には、確かにその姿がありました。
「真剣な顔をして指揮棒を振っている姿を、僕は今でも思い出す。きょうも。僕にはいた。皆にもいたのでは。今後も、それは変わりない」(高橋さん)
「松下さんはあのころ本当に頑張っていた。その遺志を継いで、継続は力なりというが、継続してよくここまでやってきたと思う。元気をもらった。頑張っていく」(厚真町民)
会場は温かい拍手に包まれました。
「音楽を届けることは、やはり重要。復興は皆、ひとりひとり力となって進んでいる。僕らは音楽を届ける面で役にたてているのか、たてていないのか。たてていますかね? そう言ってくれるならうれしい」(高橋さん)
悲しみを乗り越え、故郷に生きる。
あの日の少年は成長し、これからもおじさんと共に歩み続けます。


















