【日常から“天気予報”が消えた】戦時下「軍事機密情報といっていいと思う」軍事的情報として隠された気象情報…新聞から天気欄がなくなり暮らしから奪われる〈北海道根室空襲の96歳経験者が語った観測所の記憶〉
「(天気予報は)軍事機密情報といっていいと思う」(地方史研究者 山本竜也さん)
気象の観点から地域の歴史を研究している山本竜也さんは、天気予報は戦時下において軍事上、重要な情報だったといいます。
「当時の飛行機は基本的には目で見て、目視飛行をする。見えなければ飛べないので、飛行機が飛ぶにも雲や上空の風の情報は非常に重要だった。(戦争の)相手の国に(日本の)天気予報が分かると、自分の国が被害を受ける可能性が高くなるので、隠していたということです」(山本さん)
日本が戦争に突入した日の天気図です。そこには「極秘」と印が押されていました。
軍事利用されないため、新聞やラジオなど一般向けの天気予報や気象情報の公開は禁止されたのです。
一方で、こうした厳しい中でも気象観測は続けられていました。
「天気予報もさることながら、雨の量や風の強さなど、そういう情報も秘密にされていた」(国田さん)
戦時中も、台風は日本に上陸していました。
「この台風は等圧線の傾きが非常に大きいので、風が強かったというのが特徴で、おそらく風による大きな被害が出ていたのではないかと考えられる」(国田さん)
天気予報が消えた日常、当時のことを記憶している人に話が聞けました。
「(親に)怒られたが(自宅の)屋根に上がって(空襲を)腹ばいになって見た」(近藤敬幸さん)
根室市に住む近藤敬幸さん、96歳です。15歳の夏、爆撃で約400人が犠牲となった根室空襲を経験しました。
「(当時は)北風が吹いていた。その風に煽られて瞬く間に根室市内の8割ぐらいが焼けてしまった。全然考えていなかった。そんなに燃えてしまうなんて」(近藤さん)
この空襲の前、地元の気象を観測する測候所を訪れたといいます。
「天気のことを知っていた方がいいなと。何かに使えると思ったから。興味本位だね」(近藤さん)




















