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【コンサドーレ】「真似したって何も始まらない」“描く理想像はオリジナル”深井一希独占インタビュー(2)度重なる試練から這い上がり続けた“不屈の男”の足跡をたどる(コンサラボ/UHB北海道文化放送)

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「入って4年間はJ2だったので、本当に苦しい時代を過ごしてきました」

プロ入り3年目まではピッチ外で過ごす時間も長かった

 鳴り物入りでトップ昇格を果たした深井一希は2013年3月、ホームで行われたJ2第4節vs松本山雅FCで早くもプロとしての第一歩を踏み出す。後半27分にピッチを去るまでプレーし、クロスバーを叩くミドルシュートを放つなど、そのポテンシャルを証明するには充分の活躍を見せた。しかし、J1昇格の壁は高かった。

 ルーキーイヤーの2013年は19試合に出場し、チームは8位。2014年は3試合の出場にとどまり、10位。2015年には15試合出場で10位フィニッシュ。「自分たちが中心となってやっていけば、絶対J1でやっていけるという自信があった」という当時の胸中通りには運ばなかった入団からの3年間。深井はこの期間で実に3度、前十字靭帯を断裂。彼の不在は、既にチームの大きな痛手となっていた。

 札幌にとって、のちのJ1昇格・定着の契機となったのが2015年7月、四方田修平氏のトップチーム監督就任であった。2004年から11年半にわたりU-18の監督を務め、当時のアカデミーを全国屈指の強豪に育て上げた深井の恩師は、ベテランと教え子たちを併用し、就任翌年の2016年にJ2優勝・J1昇格を成し遂げた。このシーズン、深井自身も当時のキャリアハイとなる25試合に出場。それでも、2012年、2013年にU-18から大量昇格した計11選手のうち、この年に定位置を確保していたのは、荒野拓馬、深井一希、堀米悠斗の3人のみであった。

 「裕樹くんはちょっと年も上で、もっともっと苦しい時代を経験しているので。僕たちの世代に、プラス裕樹くんの色々な経験が詰まって、凄くいい時代を過ごせたと思いますね」。

 このシーズンを最後に、堀米がアルビレックス新潟へ完全移籍することを考えれば、荒野拓馬・深井一希、そして現在もチーム最古参としてプレーするバンディエラ・宮澤裕樹、この3本柱を中心に、クラブのいち時代がつくられたと言っていいだろう。




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