パリ五輪 銅メダリスト 柔道家・永山竜樹の誕生は運命的な”草むしり中の出会い”で
「真面目というか、寡黙な人。闘志を内に秘めている感じですよね。」
パリ五輪・柔道男子60kg級で銅メダル獲得した永山竜樹選手をこう評するのは
永山選手の地元、美唄市に住む山下和美さん(57)
山下さんは美唄市少年柔道会で25年以上にわたり指導員をしている。
そして、柔道家・永山竜樹の生みの親でもあった。その出会いは永山選手が4歳の時。
「庭の草むしりをしていたら近所に住んでいた竜樹のお母さんが散歩をしているの見かけて。
男の子がいるなーと思って声をかけたんです。それが竜樹でした。」
「『何かやっているの?』と聞いたら『何もしていない』というので、『じゃあ柔道をやらない?』と誘ったのが始まりでした。」
当時から指導員だった山下さん。息子も柔道を習っていたので
「息子の友達になってくれれば」という軽い気持ちで誘ったのだった。
「ご両親も柔道は考えていなかったと思うので、私が声をかけなければやることはなかったと思います。」
偶然の出会いから始まった柔道。
まだ4歳だった永山選手だが、その素質に山下さんは驚きの連続だったと語る。
「とにかく身体能力が高い。背負い投げをやらせても、きれいに相手の体に入ることができるんです。多くの子どもは体が半分しか入れないとか、潰れて膝がついちゃうんですけど、竜樹は低いところからちゃんと投げられてましたね」
柔道以外でも身体能力の高さを感じる場面がー
「うちの息子が自転車の補助輪を外そうと思って、練習をしていたんです。
たまたまお父さんと竜樹が来て、お父さんが『竜樹、お前も外せ』と言ってやらせたら、すぐに乗れたんですよ。私の息子は6歳で外せなかった。竜樹は4歳ですよ。体幹も素晴らしいし、何をやっても、そつなくこなしていましたね」
幼少期から抜群の身体能力を発揮していた永山選手は
小学校を卒業すると愛知県の大成中学校に柔道留学。
その後も順調に柔道家として成長し、パリ五輪代表に選ばれた。
”疑惑の判定”とも呼ばれ物議を醸した敗戦があったものの、銅メダルを獲得した永山選手を山下さんは、どうみていたのか。
「普通だったら心が折れている人が多いと思う。銅メダルに気持ちを切り替えられたのは凄いと思いますよ」
パリ五輪を終えて美唄に戻ってきた永山選手。
山下さんのところにも挨拶に来た。
「銅メダルと団体戦の銀メダルを持ってきてくれたんです。
その時に私が『代表戦で重量級の選手じゃなかったら、金メダルだったかもね』と言っちゃったんですよ。
でも、竜樹がすぐに『自分が金メダル獲りますから』ってスパっと言ったんです。やる気満々でした。」
ロサンゼルス大会の2028年、永山選手は32歳。柔道家としてはベテランの域だ。
「なんとか頑張って続けてくれれば。美唄のみんなで応援したいので。」
柔道家・永山選手の生みの親は、北海道から教え子の活躍を見守っている。