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【インタビュー】スキージャンプ葛西紀明“レジェンドが描く50歳”そして、その先の夢

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 北京五輪のスキージャンプで金と銀、2つのメダルを獲得した小林陵侑選手(25)らが所属する土屋ホーム恒例の沖縄・宮古島合宿が始まりました。

 監督兼任の葛西紀明選手(49)も二回り以上も差のある選手たちと汗を流しています。

 10代でワールドカップ(W杯)や世界選手権にデビュー、数々の記録を打ち立てたジャンプ界のスーパースターは2014年のソチ五輪で「スキージャンプ五輪最年長メダリスト」となるなど年齢を重ねて輝きを増し“レジェンド”と呼ばれるようになりました。

 “レジェンド”は今年6月6日、齢50歳を迎えます。今、何を感じているのでしょうか、北海道ニュースUHBが直撃しました。

 Q.来月50歳を迎えるがー

 「いろんな人から“50歳になったらくるぞ”と言われているが僕は“まだまだできるぞ!”というのを見せつけてやりたいと思っている」。

 Q.体の衰えはー

 「それがない。自分でも不思議に思っている。誰か専門家に僕の体を調べてもらえないかと思うほど」。

 「僕の身体、なんか不思議で一度、筋肉をつけてしまうと中々落ちない。僕はそれを”ちょきん”と言っていて…“ちょきん”は貯める筋肉と書いて“貯筋”と言っているのだが(若い頃から血のにじむようなトレーニングを積んできて)僕の身体の中では貯筋がたくさんあるので、ちょっとトレーニングすればグッと上がって、そのままシーズンまで持ちこたえてくれる」。

 Q.モチベーションは

 「負けず嫌い。悔しい思い。金メダルをとっていない、金メダルをとるという気持ち(は変わらない)」。

 「自分には対応力や気づき、ひらめきといった能力があると思っていて、そうした自信」。

 「勿論、友人、知人、ファンの方の応援のパワー、会社のバックアップだったり、そして家族の力、ライバルのおかげもある、そういったところに全部ギュッと詰め込まれて原動力になっている」。

 「(以前は“負けないぞ”という気持ちばかりでやっていたが)ソチ五輪の頃から“喜んでくれる人たちがいる”のを見たり“勇気をもらった”と言ってもらったりして、変った。自分が頑張ることで喜んでもらえるというのも、また頑張ろうという気持ちにさせてもらっている」。

 Q.家族の話を、コロナ禍でお家時間も増えたと思うがー

 「家で“パンを作りました”。娘が大好きで朝6時くらいに起こしに来て“父ちゃん、おなかすいたー!”と言う。(私が)“何食べるの?”と聞くと“パーン!”と返ってくる。そうしたやりとりを毎日、毎日やっていた」。

 Q.久しぶりの国内戦優勝もあったが、娘さんの誕生日だったー

 「テレビを見ている娘を妻が後ろからビデオを撮っていた。娘が泣いて喜んでくれていた。(コロナ禍や遠征メンバーから外れたりと楽しくないことも多かったが、かけがえのない家族との時間を過ごすこともできた)家族のためにも活躍したいというのは強く思っている」。

 Q.自らの悩みを公表された形にもなったが、アデランスのチーフ・チャレンジ・オフィサー(CCO)就任についてー

 「髪の毛、薄毛に悩んでいた。この悩みを相談すると“葛西さんに合ったものをぜひ”ということで使わせてもらうことになった。一気に悩みはなくなった。いろんな悩みを抱えている方に少しでも勇気を出して、こういったことに挑戦してもらうのもというのもあり、CCOをお受けした」。

 Q.ジャンプに話を戻して、選手としての目標をー

 「まずW杯メンバーに戻れるように。その先はもちろん4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ(イタリア)五輪での金メダル。そして、(札幌が招致を目指す)8年後の五輪。(札幌五輪が開催されれば)自国開催、地元開催。これはもう自分の中では本当に一番の大きな、大きな目標、というか“大きな夢”。これに出場して、メダルなんかとれたら“レジェンド超えちゃいますね”」

 葛西選手はレジェンドの称号を超える言葉を何か考えておいてくださいと言って笑いました。




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