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オリンピック柔道日本代表・永山竜樹選手 息子の練習のために会社を興した父 勝てない日々で”二人三脚”に亀裂… そして人生の「大きな出来事」で再び踏み出した一歩 親子三代の絆で”夢の舞台”パリへ

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永山竜樹選手

永山竜樹選手

 パリオリンピック男子柔道で日本代表の座をつかんだ永山竜樹選手。

 その規格外のパワーの源には親子三代の絆がありました。

「なんで俺の子が負けるんだ?」

「なんで俺の子が負けるんだ?」

 身長156センチと小柄な永山選手ですが、このパワーで豪快な一本を狙いに行く柔道が持ち味。

 永山選手の柔道を支えているのは、一番の理解者である父親の修さんです。

 「父親は自分が小さい時から自分の柔道を見てきて、自分の柔道を一番分かってくれている存在」(永山竜樹選手)

 父親の修さんに永山選手が柔道を始めた頃の話を聞いてみました。

 「(永山選手が柔道を始めて)2、3か月経って試合があって、一瞬でころっと負けてしまった。なんで俺の子が負けるんだ?絶対、負けは許さない」(父 修さん)

 負けず嫌いの性格に火がついた修さん。

 息子の柔道のためにある決断をします。

 「トラックの運転手だった。練習も見に行けない、試合も行けない。これじゃダメだと思って。社長になったら暇なんじゃないかと思って」(父 修さん)

 修さんは息子との柔道の時間を作るために運送会社を設立し、年商数億円にまで成長させました。

 ちなみに会社のトラックはすべて金メダルカラーです。

金メダルカラーのトラック

金メダルカラーのトラック

 そんな熱い情熱を持った父親と二人三脚でつかんだオリンピックの舞台。

 しかし、この絆が壊れかけた時がありました。

 2020年、東京オリンピックの代表争いで永山選手があと1歩というところで敗れた時でした。

 「ちょっと言い合いじゃないですけど、そういうことがあって。ちょうどなかなか勝てない時期が続いて」(永山竜樹選手)

 「『お前、そんな気持ちだったらいつまでたっても勝てないよ』とけんか腰で言っちゃった。永山選手に『柔道やってないのにわからんでしょ』と言われた。『もう知らんわ』という感じで。それまでは俺が一方的にずっとやってきた。本人もいろいろたまっていたと思う」(父 修さん)

 父親との関係に亀裂が入り、その後も結果を出せずにいた永山選手。

 その頃、生まれたのが栄樹君でした。

 「息子が玄関に走って出迎えてくれる。その笑顔を見て疲れが吹っ飛ぶ」(永山竜樹選手)

 「かわいいから会いたいし、俺も。孫、生まれてからちょっとずつ会うようになっていった」(父 修さん)

 栄樹君の誕生をきっかけに修さんと永山選手の二人三脚が再び始まりました。

 「こうして並んでみると3人、顔がそっくりですね」(ディレクター)


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