北海道に、ユーがいる。|北海道文化放送 北海道に、ユーがいる。|北海道文化放送


MENU CLOSE
検索

興奮と感動の「札幌五輪」から50年…大会を機に変わった"街と暮らし"…再び招致目指す

道内経済 コラム・特集 友だち追加

 2月3日は、50年前に札幌冬季オリンピックの開会式が行われた日です。

 大会を機に北海道札幌市の街並みは、大きく変貌を遂げました。

東京大会組織委員会の橋本聖子会長

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の橋本聖子会長は、スピードスケートと自転車競技で夏・冬あわせて7回オリンピックに出場しました。

 アルベールビル大会では銅メダルを獲得しています。

 八木 隆太郎 キャスター:「1972年の札幌のオリンピックには、どのような思い出がありますか?」

 東京大会組織委員会 橋本 聖子 会長:「小学校1年生の冬だった。父はその聖火をどうしても見せたかった。ずっと燃えていた聖火を遠くから見せられて、『あの聖火の字を取って聖子になったのだから、この大会に出ろ』と言われ、オリンピックからもらった名前。1972年に父がわざわざ遠い山奥の牧場から連れてきてくれて、聖火を見せたその思い。私自身はそれがなかったら多分スケーターとして、オリンピックの選手になるというスイッチが入らなかった」

 1972年の札幌オリンピックから50年。

 当時、運営に携わった和田 明さんです。最も日本中が沸いた瞬間を聞きました。

札幌五輪の運営に携わった和田 明さん

 札幌スキー連盟 和田 明さん:「これは笠谷幸生選手が金メダルを取ったときのゼッケン番号です。“日の丸飛行隊”と呼ばれるくらいの世界的なできごとでした」

 スキージャンプで日本勢が金・銀・銅メダルを獲得し、表彰台を独占しました。

 大会は35の国と地域から、選手と関係者1665人が来日。

スキージャンプで日本勢が金銀銅を獲得し表彰台を独占

 11日間にわたり、6競技35種目が行われました。

 札幌スキー連盟 和田 明さん:「これは50年前の記念品です」

 当時、運営者に配られた「大会必携」、マニュアルです。

 オリンピック憲章や競技ルールが1冊にまとめられ、運営者の名簿もありました。

 和田さんはクロスカントリーで、選手がコースを通過したかを確認する関門主任を務めました。

 今だから話せる当時のエピソードが。

 札幌スキー連盟 和田 明さん:「競技が終わって集計したときに、通過していない選手がいて失格ではないかと。実は現場の関門係がみんなで写真を撮っていて、その間に1人通過して行ったことがわかった。強いノルウェーの選手だった」

 アジアで初めて開催された冬季オリンピック。

 札幌の街が世界に向けて大きく発信されました。

 札幌スキー連盟 和田 明さん:「いよいよ札幌が国際都市になると感じた。札幌大会がなければ、地下鉄も造れなかったかもしれない」

  • みんテレ