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小野伸二41歳 海外クラブで見てきたものと、いま日本で求められているもの #2

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世界を知る男"小野伸二"が見てきたものとは

 「シンジは自分の中で一番上手い選手」

 元・日本代表の中村俊輔(横浜FC)は、今シーズン開幕直前の記者会見の中でそう語った。

 北海道コンサドーレ札幌への移籍により、小野伸二が2シーズンぶりにJ1の舞台に帰ってきた。リーグ開幕戦となった横浜FC戦にメンバー入り。そして後半41分、万雷の拍手を浴びながら、途中交代でピッチへ。前半で退いた『天才レフティ』とピッチ上で相まみえることは残念ながら叶わなかったが、開幕戦勝利の歓びをチームメイト、サポーターとともに分かち合った。

 『日本サッカー界の宝』という評価に異論を挟む人は少ないだろう。浦和でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせると、2001年にオランダのフェイエノールトへ移籍。2001-02シーズンのUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)制覇に大きく貢献した。その後も、帰国を挟みながら、ボーフム(ドイツ)、ウェスタン・シドニー(オーストラリア)と、海外3クラブでプレーしてきた。これら海外クラブでの経験は、小野伸二のサッカー観にどんな影響を与えたのだろうか。41歳になったいま、小野伸二が日本で求められている役割とは? 浦和レッズ時代からの盟友・河合竜二とともに語り合ってもらった。(全3回/取材:UHB北海道文化放送「コンサラボ」)

■ ヨーロッパで感じた『クラブOBたちへのリスペクト』

 ーフェイエノールトで果たした2002年のUEFAカップ優勝は、我々も誇らしい思いになりました。

 小野:プロに入って2つ目のクラブが海外ということもあって、自分もとにかく挑戦するチャレンジャーの気持ちで入っていきました。4試合目くらいでスタメンをとれて、そこからずっと試合に出られていた。非常に良い環境でやらせてもらったなというのはあります。

 -フェイエノールトは前回お話しいただいたウェスタン・シドニーとは異なる、歴史と伝統を持つクラブですが、どんなクラブでしたか?

 小野:向こうへ行って、フェイエノールトに限らず、海外、特にヨーロッパのクラブは、今いる現役の選手はもちろん、クラブを支えてくれた現役を引退した選手たちに対しても、本当のリスペクトを強く感じられました。日本に戻って来ると、やっぱりそういうものって忘れがちになるじゃないですか。凄く大事だなと僕は感じましたね。

 河合:これはファン・サポーターにも聞いてもらいたい言葉ですよね。

 小野:嬉しいですよね。オランダを去って約15年になりますけど、それでもまだ僕のことを向こうで話題にしてくれたり、いつまでも覚えていてくれる。サッカーをやっていて、あのチームに行けてよかったなと思います。

 ―オランダ人ばかりではない、色々な国の人たちが集まったチームの中でも、当時、日本人の存在はかなり珍しかったんじゃないですか?

 小野:日本に興味はあったでしょうね。あの時はまだ日本食というのも、文化としてそこまで入っていませんでした。選手たちを日本食レストランに連れていったりしましたよ。向こうの面白いところは、誕生日を自分で祝うんですよ。祝ってもらうんじゃなくて、自分でおもてなしをして、祝う。僕は自分の誕生日、練習が終わってクラブハウスでランチを選手全員で食べる時に、日本食レストランの人に来てもらって、お寿司を握ってもらいました。他にもエビフライとか唐揚げを作ってもらって、ランチをおもてなししましたね。「この食べ物は何だ!」という感じでしたけど、食べたら「めちゃ美味い!」みたいな(笑)。

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