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自主隔離期間明けの“スキージャンプ”伊東大貴が3位「大会出場を心の支えにし奮い立たせた」

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19歳の二階堂蓮が優勝したHBC杯 3位の伊東大貴は“隔離期間”明け参戦

 1月11日のHBC杯ジャンプで3位に入った伊東大貴選手(雪印メグミルク、下川町出身)はワールドカップ(W杯)の遠征から帰国、入国時のルールに従い14日間の自主隔離を経て前日、札幌入りしたばかりでした。

 シーズンの真っただ中に3週間ジャンプから離れて臨んだ大会は、試合前の試技、競技の1回目もいつもとは違う感覚で“探りながら”のジャンプになりました。それでも1回目は128.5mで5位。2回目に131.5mのジャンプで追い上げ3位に入りました。

 伊東:「コンディションは完璧ではなかったが、出場するからには優勝したかった。“ちょっと”悔いは残る」。

 ワールドカップ参戦20年目の今季はシーズンインから感覚のズレを修正できず、全日本のW杯出場枠獲得のチーム戦略とも合わせて帰国して国内調整することに切り替えました。

 12月26日に帰国、翌日27日から自主隔離を受け入れている施設で「誰とも会わない」「外出しない」14日間がスタート。年越しも(例えは悪いが)“牢獄”のような一人の部屋で過ごすことになりました。

 「はじめは大丈夫だなと思っていたが10日目頃からかなりやられてしまった」と心理的にも予想外に追い詰められていたと告白しました。

 簡易なものながらトレーニング用具類ばかりでなく、写真のやりとりをもとに管理栄養士のアドバイスで野菜や果物、自社の乳製品なども滞在先に送られてきました。

 そうしたチームのサポートもあり、隔離期間の先に試合があると考えて心を“奮い立たせ”乗り越えました。

 「隔離明けで試合に出るのも初めての経験だったが、そうしたことにも“挑戦”できるのは幸せなことだと感じている」。

 経験したことのないシーズン、予想外のことにも挑戦を続けていきます。

【伊東大貴】
 1985年12月27日、北海道下川町出身。2006年のトリノからバンクーバー、ソチ、平昌と4大会連続五輪出場。2014年ソチ五輪では団体銅メダル。隔年で行われる世界選手権には19歳のときから8回連続で出場し男女混合団体の金メダルはじめ5つのメダルを獲得。ワールドカップの個人勝利数は通算4勝。丑年生まれの年男。